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聖書から考える誹謗中傷問題

法律事務所リベロ,所長弁護士の渡辺です。
さて,今回は社会問題となっている誹謗中傷問題について考えたいと思います。
最近ですと有名人が不倫をした場合,マスコミで過剰に取り上げられたり,インターネット上で激しく誹謗中傷されているのをよく見かけます。
確かに不倫したこと自体は悪いことです,しかし見ず知らずの人から公開処罰を受ける必要があるのでしょうか?
不倫は悪いこと,それはまさしく正論で,誰もが否定出来ないと思います。
しかし大勢で,その正論をふりかざして,その人の全存在まで潰してしまうことが本当に善いことなのでしょうか?
不倫という罪を犯したことは事実ですが,群衆にはその罪を裁く権利があるのでしょうか?
姦淫の場で捕らえられた女
上記のような報道や誹謗中傷問題をみると,聖書の「姦淫の場で捉えられた女」の話を思い出します。
少し長いですが,以下聖書より引用します。

「姦淫の場で捕らえられた女」(ヨハネの福音書8章1節~11節)
イエスはオリーブ山に行かれた。そして朝早く、イエスは再び宮に入られた。
人々はみな、みもとに寄って来た。イエスは腰を下ろして、彼らに教え始められた。
すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
「先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか。」
彼らはイエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みてこう言ったのであった。だが、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」そしてイエスは、再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた。
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女とともに、イエスだけが残された。
イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」
彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」
イエスは言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」
お話の解説
イエス・キリストは,この女性に不貞は罪であると伝えていますが,裁かずに,その女性を許しています。
この女性は,涙が出るほど,うれしかったと思います。皆から後ろ指を指されるようなことをしてしまい,誰からも味方になってもらうことを期待出来ない状況で,ただ一人,イエス・キリストが自分の人格,尊厳を尊重し,守ってくれたことに感謝で一杯になったと思います。
そして女性は,罪を犯しましたが,イエス・キリストを信じることで許されました。ここで重要なことは,この女性は,自分の罪を許してもらうために何の行為も行っていないことです。
単にイエス・キリストを信じただけで罪を許されています。しかも,イエス・キリストを信じた瞬間に罪が許されています。まさに一瞬でです。これこそが信仰です。
「だれでもキリストのうちにあるなら,その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って,見よ,すべてが新しくなりました」
コリント人への手紙第二5章17節
とあるように,聖書では,キリストを信じることで,全く新しい人生を歩むことができると書かれています。この聖句では,「だれでも」,「すべて」が新しくなるといってます。
つまり,どんな罪を犯した人でも,間違いをした人でも,過去どんな生活を送っていた人でも,キリストを信じることで,すべてが新しくなるといっています。
過去の罪悪感などを抱えながら人生を送るのは,背中に常に重い荷物を負って,生活しているようなものです。この女性が捕まった時代は,姦淫の罪は死刑に値するものとされていました。
死刑に値することをした女性も信じた瞬間にで許されたのです。罪悪感を抱えて過ごしていくか,
この女性のように信仰により罪悪感から解放されて,新しい人生を送るか?
それとも,自分は悪いことなどはしていない,他の人だって同じようなことをしているとして正当化して,生きていくか?
それぞれ,個人の選択にかかっていると思います
まとめ
はじめの話に戻りますが,人間である以上,誰でも罪を犯したり,間違いを起こすのは当然のこと。
自分が何らか間違いをしたとき,集団からそういった攻撃をされたらどうでしょう?他人の間違いには厳しく,自分の間違いには甘いのは,正義なのでしょうか?
ネット上で,正義をかざすのであれば,自分が同じような間違いをした場合には,同じように公開処刑されてもいいという覚悟ですべきであり,そうでない場合は控えるべきだと思います。
極真会館の創始者である大山倍達総裁は「正義なき力は暴力なり。力なき正義は無能なり」と言っていますが,正にその通りだと思います。