イエス・キリストという人物について②

「イエス・キリストという人物について①」の続きになります。

目次

イエス・キリストは誰なのか?

「イエス・キリストは誰なのか」について考えていきたいと思いますが,

これについては,三つの回答があると思います。

①偉人,道徳の教師である
②問題ある人(人を惑わす詐欺師,嘘つき,「私が神だと思っている誇大妄想狂」など)
③神である

①について検討してみましょう。

イエス・キリストは,次のような言葉を発しています。

わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく,わたしを信じる者はどんなときにも,決して渇くことがありません。

ヨハネの福音書6章35節

わたしは門です。だれでも,わたしを通って入るなら救われます。

ヨハネの福音書10章9節

わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。

ヨハネの福音書11章25節

わたしが道であり,真理であり,いのちなのです。わたしを通してでなければ,だれも父のみもとに行くことはできません。

ヨハネの福音書14章6節

普通の人間がこういう発言をするでしょうか?あなたの周りにこういう発言をする人がいたら,あなたは,頭が変になったと思いませんか?

また,普通の人が「わたしが道であり,真理であり,いのちなのです。わたしを通してでなければ,だれも父のみもとに行くことはできません。」などと発言したら,傲慢な人と感じないでしょうか?

ですので,イエス・キリストが偉人であるとか,道徳の教師であるといった可能性はありません。


②について,検討してみましょう

イエス・キリストは全身鞭打たれ,衣服を切り裂かれて十字架に釘付けにされましたが,何の抵抗もしませんでした。詐欺師や嘘つきなどであれば,自分の命が奪われようとしている時に,嘘をつくなどして,何とか自分の命を救う行動に出るはずです。

「私が神だと思っている誇大妄想狂」ということについても,そうであれば,イエス・キリストを信じていた多くの偉人こそ,頭を疑われますね。

イスラム教でさえ,イエスキリストを偉大な預言者と認めている以上,問題ある人である可能性はありません。

イエス・キリストの正体

答えは③のとおり,イエス・キリストは神です

①で述べたような発言を,人間が考えつくことも発することも不可能です。

何より,イエス・キリストが自ら,

わたしと父とは一つです。

ヨハネの福音書10章30節


と,自分が神であることを認めています。

なかなか受け入れ難いところもあるかも知れませんが,イエス・キリストが人であり,神であることは,紛れもない事実なのです。

そのことは以下のヨハネの福音書の冒頭部分に書かれています。ちょっと長いですが,引用します。

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は,初めに神とともにおられた。
すべてのものは,この方によって造られた。
造られたもので,この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

ヨハネの福音書1章1~5節

すべての人を照らすそのまことの光が,世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ,世はこの方によって造られたのに,世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のところに来られたのに,ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
しかし,この方を受け入れた人々,すなわち,その名を信じた人々には,神の子どもとなる特権をお与えになった。
この人々は,血によってではなく,肉の望むところでも人の意志によってでもなく,ただ,神によって生まれたのである。
ことばは人となって,私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

ヨハネの福音書1章9~14節

イエス・キリストが神とともにあった,イエス・キリストは神であった。イエス・キリストが神とともにこの世界を創造した。イエス・キリストが人間の姿をとって,この世に来たのに,人々は受け入れなかった。しかし,受け入れたものには,神の子供となる特権を与えたと書かれています。

これは,三位一体という,なかなか頭では理解できない概念ですが,本物のキリスト教はこのことを認めています。一方,偽物のキリスト教(異端)は,これを否定し,例えば,イエス・キリストは神ではなく,人に過ぎないなどと解釈するものです。

しかし,イエス・キリストは十字架上で死にました。このことは事実です。ですので,イエス・キリストが人であったことは間違いありません。

また,罪を犯さない完全な人間など,この世におりません。


イエス・キリストは生涯一度も罪を犯しませんでした。

また,イエス・キリストは,罪人である全人類の身代わりに,十字架上で無残な死を遂げていますが,これは普通の人間では到底出来ることではないのです。
完全でない人間が人類を救うことは不可能です。救えるのは神のみです。

これらのことから,イエス・キリストが神であることがわかります。

「人」でなければ死ねない,「神」でなければ救えない。
イエス・キリストは人であり,神なのです

三位一体は、人間が頭で理解することは不可能な概念です。聖書にそう書いてるから信じるものなのです。つまり,理解出来ないけれども,聖書にそう書いてあるから信じる。これが信仰です。

是非,世界のベストセラーである聖書を読んで,イエス・キリストがとういった方であるかあなたなりに考えて頂ければと思います。

聖書を読んで,前向きな人生を歩んで下さい。

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