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三重苦を乗り越えたヘレンケラーと英雄ナポレオンの対照的な生涯

こんにちは,法律事務所リベロ所長の渡辺です。
今回はヘレンケラーとナポレオンの生涯を元に“生き方”について考えたいと思います。
三重苦を抱えながらも世界で活躍したヘレンケラー

1歳7ヵ月目に,原因不明の高熱と腹痛におそわたことで,視力,聴覚を失い,話すことも困難となってしまったヘレンケラーですが,
そのような想像もしがたい苦悩の中にあっても,向上心を持ち続けて,アメリカも女子教育の名門ラドクリフ大学(現在は,ハーバード大学に組み込まれています)に入学します。
そして,ラドクリフ大学を優秀な成績で卒業した後は,神様から与えられた自分の使命が障害者の救済であるとの確信に至り,そのための著述活動をしたり,世界各国で講演活動をしたり,福祉事業に携わっていました。
彼女の人生は三重苦を抱えた,苦難に満ちたものでしたが,彼女は
悲しみで心が張り裂けそうになった時,その人は森の奥で道を失った旅人のようになります。恐怖は募り,どこへ行けばいいのか全然わからなくなり,道を見出そうとしては,木や石に体をとられます。ところが道はちゃんとあるのです。信仰の道が――。これをたどっていけば,迷路のような森の奥から,求める大通りへと出られるのです。
と,信仰によって,その困難を乗り越えたと述べています。
その具体的方法について,ヘレンケラーは次のように語っています。
神様という友人に対して素朴に子供のように信頼を捧げることは,ありとあらゆるところからやってくる問題を解決してくれます。
どちらの方向に足を向けても困難が私達を待ち受けています。人生ある限り困難は必ずついてまわります。こうしたものはその人の人格から作り出されるのです。
困難に立ち向かう一番確実な方法は,自分は不滅であると信じること,そして一睡もしないで見守ってくれる友人があること,その友人は信じて委ねさえすれば私たちをじっと見守ってくれ,導いてくれることを信じることです。
この考えを心の奥底にしっかり据えてつけておけば,ほとんどすべての望みはかなえられます。・・・どんな傷を負っても優しい共感がこれを償ってくれます。苦難の中から忍耐と甘美さのスミレが花を開かせます。・・・山の頂上に立つ喜びは,もしそこへ至るまでに超えるべき暗い合間が一つもなければ,半減されるでしょう。
つまり,困難を乗り越えるには,神様が一睡もせずに見守ってくれていることを信じること,神様が最善に導いてくれることを信じることが大切だと述べています。
そして,この考えを心の奥底にしっかり据えてつけておけば,ほとんどすべての望みはかなえられると言っています。
これはまさに,クリスチャン的楽観主義といえるでしょう。
ここで聖書のことばを3つご紹介します。
主よあなたは私を探り知っておられます。
詩編130篇1節~18節
あなたは私の座るのも立つのも知っておられ
遠くから私の思いを読み取られます。
あなたは私が歩くのも伏すのも見守り
私の道のすべてを知り抜いておられます。
ことばが私の舌にのぼる前になんと主よ
あなたはそのすべてを知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み
御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとって
あまりにも不思議
あまりにも高くて及びもつきません
神様は,神様を信じる者を一睡もせず見守ってくれていると言っています。
わたしはあなたの神,主である。
イザヤ書48章17節
わたしはあなたに益となることを考え,
あなたの歩むべき道をあなたを導く
神様は,神様を信じる者に利益となるよう,常に最善の道に導いていると言っています。
ですから,何を食べようか,何を飲もうか,何を着ようかと言って,心配しなくてもよいのです。これらのものはすべて,異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものがすべてが必要であることは,あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば,これらのものはすべて,それに加えて与えられます。
マタイの福音書第6章31節~33節
神様の御心に従って生きれば,必要なものはすべて与えられると言っています。
まさに,ヘレンケラーの考えは,聖書に書かれている考えそのものと言えます。
英雄と称されるフランス皇帝ナポレオン

ここで,ナポレオンとヘレンケラーの生涯を比較して,人生にとって,大切なものは何かを考えてみたいと思います。
フランスの皇帝ナポレオンは,富,栄光,権力,名声等,人間が欲するありとあらゆるものを獲得しましたが,「私の生涯で幸福な日は6日もなかった」と述べています。
その一方,ヘレンケラーは,三重苦にありながらも,「人生とは本当に美しいものだと思います」と述べています。
二人の人生は対照的ですが何が原因なのでしょうか。
ナポレオンは,富,権力,名声などをひたすら追及しました。しかし,それらは一時的なもので,追及すれば追及する程,次から次へと欲望が出てきます。いつまで立っても満足出来なません。また,一度得たものも,いつ失われるかという恐れから心配が絶えません。
一方,ヘレンケラーは,そういった外から与えられるものではなく,内面の心を大切にしました。
富,権力,名声など外から与えられるものは長続きしない,その一方で,神様との関係から得られる心の平安,希望は永久に変わらないということだと思います。
物質面だけでなく信仰も大切に生きよう

イエスキリストは
人は,たとえ全世界を手に入れても,自分のいのちを失ったら,何の益があるでしょうか。自分のいのちを買い戻すのに,人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。
マルコの福音書第8章36~37節
と述べています。
快適な生活を送るには,お金は必要ですし,金持ちになることは聖書でも禁じられていません。
しかし,イエス・キリストは,富など外から与えられるものばかりを追求していると,永遠の命を失う可能性があることを警告しています。
つまり,物質面を大切にするのと同じように,信仰も大切にしなくてはならないということだと思います。
神は,実に,そのひとり子をお与えになったほどに,世を愛された。それは御子を信じる者が,ひとりとして滅びることなく,永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書第3章16節
とあるように,永遠の命を得る方法はただ一つ,イエスキリストを信じることです。
お金持ちであっても,お金に困っている人でも変わりません。
あなたは,ナポレオンような人生を歩みたいですか?それとも,ヘレンケラーのような人生を歩みたいですがか?
対照的な二人の生涯を参考に,生き方を考えてみてはいかがでしょうか?