トマトはメロンになれない

こんにちは,法律事務所リベロ所長の渡辺です。
今回は“自分らしさとは何か”というテーマでコラムを執筆したいと思います。

目次

他人と比較しない

相田みつをさんの誌に次のようなものがあります。

トマトがなえ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
みんながそれぞれに
ほんものなのに
骨を折って
にせものに
なりたがる

みんなほんもの

他人と比較して,落ち込んだりする傾向のある方,自分の子供を他の子供と比較して,評価する傾向のある方は,そのような時,この詩を思い出してみて下さい。

誰ひとりとして同じ才能を与えられた人間はいない

聖書には,

実に,私たちは神の作品であって,良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです

エペソ人への手紙第2章10節

とあります。
つまり,聖書によれば,私達は,皆,神様によって造られた最高傑作です。
同じ外見の人はいないですし,誰一人,同じ才能を与えられた人はいません。
そして,生まれる前から,それぞれが別の目的を与えられています。ダビデ王は,旧約聖書に詩篇の中で,次のように賛美しています。

あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。
私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって恐ろしいほどです。
私のたましいはそれをよく知っています。
私が隠れた所で造られ地の深い所で織り上げられたとき私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。
私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。

詩編139章13節~16節

それぞれが,神様によって,それぞれが,ユニークに作られています。まさにオーダーメードなのです。

いったいだれが,あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには,何か,もらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら,なぜ,もらっていないかのように誇るのですか。あなたがたは,もう満ち足りています。すでに豊かになっています。

コリント人への手紙第14章7節~8節

とあるように,才能などは,すべて神様からの贈り物で,あなたに必要なものは全て与えられています。
従って,他の人を羨むのは無意味なのです。

どんなに幸せそうな人でもマイナス面を持っています。例えば,美人の女優を羨むことがあるかもしれませんが,その美貌のゆえに悪い男に欺され,不幸な結婚生活を送っているということもあるのです。
他の人を羨みそうになった時には,もしかしたら,あなたの方こそ,他の人から羨ましがられていかも知れないと考えてみましょう。
大切なのは,神様から与えられた才能を最大限活用して,神様が意図した,あなたらしい人生を送ることです。

神様に与えられた才能

自分の子供が,他の子供と同じように育って欲しいと思うかも知れませんが,それは神様の意図に反していると思います。
学校の先生は,全ての生徒を同じように育てようとするかも知れませんが,それも神の意図に反していると思います。

トマトをメロンのように育てたら,永遠にその目的は達成されず,トマトとしての生涯を台無しにしてしまいますね。

どうして他の子(メロン)のようにしないの?
どうして他の子(メロン)のように出来ないの?

と思った時には,この子はトマトなのだと考えましょう。
トマトが熟したトマトになれば,多くの人から愛されます。世の中にはメロン好きばかりでないのです。

以上は,神様がいることを前提とした聖書に基づく考えですが,神様がいないと考える立場(無神論)から考えるとどうなるのでしょう?

無神論の立場からは,男女の性交渉によって偶然こどもが生まれ,外見や才能も偶然与えられたということになると思います。
子供が生まれた目的など初めから決められていないのだから,親がその目的を決めることもあるでしょう。

この子には,医者になって欲しい,家業を継いて欲しいからそう育てる。親にとっては,自分が希望する進路を子供が辿るのだからうれしいでしょう。

しかし,こういう事態も考えられます。
トマトに生まれた子供も,親がメロンのようになって欲しいと思えば,メロンになるよう育てる。子供は,親に従って,メロンになれるよう努力するが,なかなか上手くいかないから,親は子供を叱りつける。理不尽に叱られた子供は親に反抗するようになり,家庭内で喧嘩が絶えなくなる。家庭環境が悪化し,子供は家の外で悪いことをするようになる・・・ついには,トマトは腐ってしまう。

もちろん,無神論の立場からも,いろいろな子育ての方法があり,子供に,自分らしい人生を送らせて上げることは出来ると思います。

一方,聖書の立場では,「神様の目的」,「神様の御心」に沿った自分らしい人生を送ってもらうように育てるというものです。聖書では,単に自分自身が幸せな人生を送ればいいというのではなく,才能などは全て神様から与えたものだから,その才能を最大限発揮して,神様に喜んでもらう,神様に恩返しするといった,生き方が奨励されているのです。

人はみな神様の最高傑作

「自分らしく生きる」を追及し過ぎると,場合によっては,他の人に迷惑をかけてしまうこともありますね。ですので,クリスチャンはあくまで,「神様の目的」,「神様の御心」に沿って,自分らしく生きることを心がけているのです。

例えば,大リーグで二刀流で活躍するなど不可能だと考えられいましたが,神様には不可能などないことを証明するため,二刀流に挑戦する,
音楽の才能があるから神様を賛美するために使う,文才,詩を書く才能,絵を描く才能があるから,神様の素晴らしさを表現するために使う・・などです。

現代は,自分らしく生きることが認められないと,逆に差別しているなどと強く非難し,反論の口を塞ぐという危険な風潮があると思います。

男性として生まれながら女性として生きる,同性同士で結婚する。

こういったことは,神様が喜ぶでしょうか?

イエスキリストは

創造のはじめから,神は彼らを男と女に造られました
『それゆえ,男は父と母を離れ,その妻と結ばれ,ふたりは一体となる』のです。

マタイの福音書第19章4節~6節


と,神様が「男」,「女」に造った,結婚は男女でするものとはっきり述べています。

神様は目的をもって,「男」,「女」としての生を与えています。

何でも自分らしくを貫くことは,
「神様,あなたが私を男性(女性)にしたのは間違っているのですよ」と神様にたてついていることになると思います。つまり,自分は神様より優れている,神様より偉いと言っているようなものです。これでは,神様に喜ばれないでしょう。

これについては,多くの方から批判を受けると思いますが,聖書を基準とすれば,現代の風潮に問題があると言わざるを得ないと思います。

昨今ではトランスジェンダーという言葉を良く耳にします。
トランスジェンダーについて本気でお悩みの方もいらっしゃる一方で,
トランスジェンダーという言葉を自分の都合のいいように使い,犯罪を犯している人もいます。

海外では,女性や女の子が,トランスジェンダーの方から酷い性被害を受けたと件が多数報告されています。
女性のアスリートがトランスジェンダーの方に負けたという事態も起きています。トランスジェンダーのアスリートが,女性アスリートと同じロッカールームで着替えをしているのにそれを断ると差別と言われるから我慢せざるを得ない。
これは,女性の権利の侵害ではないでしょうか?

こういったことからは目を背け,何が何でも自分らしさを追及する,それが認められないと差別と言って,反論の口を塞ぐ。
こういったことが許されていいのでしょうか?少数者の権利を保護するために,多数の女性の権利が害されていいのでしょうか?

特に,女の子をお持ちの親の皆さんは,自分の子供がこういった被害に遭う可能性があることを十分理解した上で,この問題を考えて頂きたいと思います。
性被害は一生の傷になります。スポーツで優勝を目指す女の子の夢が簡単に破られてしまっていいのですか?是非,以下を聞いて頂ければと思います。

いずれにしろ,神様の目的という視点を忘れていることが,こういった事態を招いていることの一つの原因になっていると思います。

最後に,聖書の素晴らしい言葉を紹介します。

私の目には,あなたは高価で尊い

イザヤ書43章4節

あなたや子供は神の最高傑作です
是非,前向きな人生を歩んで頂ければと思います。

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